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第27課 日曜日


 「7日目はあなたの神、主の安息である」というのは、十戒の第4条の言葉です。旧約時代にユダヤ人はこの言葉を無条件に受けいれました。しかし新約時代になってからは、第7日の代わりに、週の第1日である日曜日を、聖日として守るように変更されたと考えている人がいます。
 また、現在大多数の人々は日曜日に休んでいるのだから、日曜日を礼拝日にしたほうが便利ではないかと考えています。
 ローマ・カトリック教会は、イエス・キリストが教会にお与えになった権威によって、安息日を日曜日に変更したと主張しています。
 プロテスタントは、キリストの復活を記念して日曜日を守るといいます。
 しかしクリスチャンとして大切なことは、聖書の言葉に従うことです。
 この課では、旧約時代に守られキリストも弟子たちも守っていた第7日安息日が、どうして教会の中で日曜日に変わっていったかをしらベ、今日私たちが、安息日、日曜日の問題に対してとるべき態度を考えてみたいと思います。


1.安息日は廃せられたか

 コロサイ人への手紙2章16、17節に、次のような聖句があります。
「だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。」
 第3巻第25課で十戒は廃せられたのではないことを学びましたが、この聖句で安息日についてだれにも批評されてはならないというのはどういう意味でしょうか。
 聖書を読むときいつも忘れてはならないことは、1つの聖句の正しい意味を知るためには、前後の文章の関係をみなければならないということです。
 この聖句の前には、儀式に関するモーセの律法が廃されたことが述べてあり、「食物と飲み物、祭や新月、安息日」というのは、この儀式の律法の中のもので、それは、「きたるべきものの影」すなわちキリストの贖罪を予表したもので、十字架が実現したあとは、不必要になったのです。たとえば7月10日は安息日といわれています(レビ記16章29、31節)が、これは第7日の安息日ではありません。また第7日安息日は「きたるべきものの影」でもないのです。ですから前に学んだ神の律法についてのほかの聖句とも考え合わせると、十戒の中にある第7日安息日が廃せられたというのではないことがわかります。


2.安息日は変更されたか

 それでは安息日は士曜日から日曜日に変更されたのでしょうか。
 キリストは地上の生涯で、安息日にはいつも会堂にゆき、聖書を読み、お教えになりました。ルカによる福音書4章16節に、「それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた」とあります。また人々の病をいやし、助けを要する人々に奉仕をなさいました。安息日におけるキリストの奉仕は、形式主義におちいっていた当時の宗教指導者たちの反感を買ったのです。
 キリストの弟子たちが安息日を守っていたことは、初代教会の歴史である使徒行伝の中に記録されています。その例を次にあげてみましょう。
 「一行(パウロとシラス=著者注〕は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケにいった。ここにはユダヤ人の会堂があった。パウロは例によって、その会堂にはいって行って、3つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ」(使徒行伝17章1、2節)。
 「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。」「パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた」(使徒行伝18章1、4節) 。
 次に新約聖書の中には、週の第1日に関する聖句が8か所あります。それらの聖句が日曜日を土曜日の代わりに聖日としたことを示しているかどうかを調べてみましょう。

(1)使徒行伝20章7節
 「週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた。」
 新約聖書の中で、週の初めの日すなわち日曜日の集会の記録はこの聖句だけです。「パンをさくために集まった」というのは11課で説明しますが教会の儀式で、これは必ずしも安息日にかぎったことではありません(使徒行伝2章46節参照)この集会は旅行に出発するパウロの別れのためで、日曜日が聖日になったという根拠にはなりません。

(2)コリント人への第1の手紙16章1、2節
 「聖徒たちへの献金については、わたしはガラテヤの諸教会に命じておいたが、あなたがたもそのとおりにしなさい。1週の初めの日ごとに、あなたがたはそれぞれ、いくらでも収入に応じて手もとにたくわえておき、わたしが着いた時になって初めて集めることのないようにしなさい。」
 この聖句は献金を集めることの指示で、日曜日を聖日にしたこととは全く関係がありません。

(3)ヨハネによる福音書20章19節
 「その日、すなわち、1週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、『安かれ』と言われた。」
 この聖句も日曜日を聖日として守ったのではなく、ユダヤ人をおそれて夕方自分たちのおる所の戸をしめていたのです。
 このほか、ヨハネによる福音書20章1節、ルカによる福音書24章1節、マルコによる福音書16章2、9節、マタイによる福音書28章1節に「週の初めの日」という言葉がでていますが、これらは日曜日を聖日としたということとは関係のない聖句です。


3.日曜日

 聖書の上では日曜日を聖日とする根拠がないとすればどうして多くの教会で日曜日を聖日とするようになったのでしょうか。
 新約聖書の書かれた時代にクリスチャンが土曜日を安息日として守ったことは明らかです。これが日曜日に移ったのは、紀元150年ころから約300年間の内に徐々に行われました。
 日曜日が2世紀のクリスチャンにとって礼拝日になっていった要因の1つはバル・コクバの反乱(132—135)です。この反乱はユダヤ人がローマ帝国に対しておこした民族主義的独立運動ですが、結果は失敗でした。この反乱のあとローマ帝国は安息日を守るユダヤ人にいろいろな圧迫を加えました。そこでクリスチャンはこのようなユダヤ人と同一視されないために礼拝日を守っていた人々も、また土曜日と日曜日の両方を聖日としていたクリスチャンもいました。
 321年にコンスタンティヌス帝は、日曜休業令を出し、そのころ盛んであった太陽礼拝と、キリスト教の礼拝日とを統一しようとしたのです。
 これに対して教会側は妥協する態度をとり、4世紀のラオデキヤ会議で次の決議をしました。
 「クリスチャンはユダヤ教化してはならない。土曜日に何もしないのではなく、働かねばならない。しかし主の日(日曜日)は特にこれを尊び、できればクリスチャンとしてその日には、仕事をしないようにすべきである」(ラオデキヤ会議宗教法第29条)。
 このようにして、日曜日を教会は礼拝日として守るようになったのですが、一部には聖書に従って土曜日を守る人々もいました。
 日曜日を守る理由としてプロテスタントの教会は、キリストの復活の記念といいますが、聖書には日曜日を聖日とするという根拠はありません。
 カトリック教会はこの変更はカトリック教会の権威によって行ったと主張しています。
 ベーテル・ガイエルマンの「カトリック教理問答」には次の言葉があります。

 またステファン・キーナンは、その著、教理問答の中で次のように述べています。

 教会は聖書に反して、神が祝福し、聖別なさった日を変えることができるでしょうか。
 カトリック教会は、神の言葉の上にそういう権威を教会会議がもっていると考えたのです。そしてそれだけでなく、煉獄にいる死者のために祈るとか、お札を買えば罪がゆるされるといった聖書に根拠のないことを教会会議がローマ法王の名によってきめてきたのです。
 ルターによる宗教改革は聖書を最高の権威とするという主張に立ったものでした。
 かつて米国のミゾリー州カンザス・シティにあるリデンプトリスト大学総長T・エンライトは「日曜日がわれわれの守るべき日であることを、聖書だけから証明できる人に、千ドルあげる」と度々いいましたが、これに応じることができた人はだれもいませんでした。


4.安息日変更の預言

 安息日は、神と人間を結ぶ基本的な関係である創造の記念であり、罪をおかした人間が救われて再び神のものとなる再創造のしるしとして、十戒の中にある重要な意味をもつ日です。この日を守るというのはただ仕事を休むというだけでなく、すべての罪を悔い改めてゆるされ、神との交わりにはいって、心に平安と喜びをいただかなければ本当の休みにはいるということはできません。安息日が意味しているのはクリスチャン経験の真髄です。
 このような大切な日が変更されることについて、神は預言を通してあらかじめお示しになりました。それはダニエル書7章25節です。
 「彼は、いと高き者に対してことばを出し、かつ、いと高き者の聖徒をなやます。彼はまた時と律法を変えようと望む。」
 この聖句の「彼」は宗教権力をあらわしていて、その権力が、「時と律法を変えようと望む」とありますが、歴史における時は神の支配のもとにあり、神の計画に反して人間がこれを変えることはできません。しかしこの権力は神の権限にふみこんで行動し、また神の律法を変更しようとするというのです。神の律法である十戒を変更したのは、ローマ法王を代表とするカトリック教会であることは、この課の研究でおわかりになったと思います。なお、カトリック教会はこのほかに十戒の第2条を全部除いて、その代わりに第10条を2つに分けて10か条にしています。これは明らかにこのダニエルの預言の成就です。
 安息日と日曜日、私たちはどちらを守るべきでしょうか。聖書は「人間に従うよりは、神に従うべきである」(使徒行伝5章29節)と述べています。




第27課 復習問題


※問題をクリックすると解答が開きます。

答え: 儀式に関するモーセの律法の中のもので、第七日の安息日ではない

答え: いつも会堂に行き聖書を読み、お教えになり、また人々の病をいやし、助けを要する人々に奉仕をなさった

答え: コンスタンティヌス大帝

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