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第25課 安息日の戒めは廃されたのか?

はじめに

この安息日の戒めは、こんにち週休の日として社会や生活の中に組み込まれています。それにもかかわらず、一般の人々からは、その意味がまったく理解されておらず、ほとんど顧みられていません。
しかも、これは一般社会だけではなく、教会においてさえも無視されています。無視とまでは言えないまでも、非常に軽く考えられているのが実情です。
なかには、十戒はキリストの十字架によって廃止された戒めであって、こんにちのわれわれには最早なんの関係もないと主張する人さえいます。
特に、その中の安息日の戒めは、キリストによっても否定されており、われわれはこれから解放されているという考え方が、新約の教会に根強くあります。

安息日の戒めを否定する説

旧約時代に、厳然として存在していた安息日の戒めを、新約時代のこんにち、これを否定する理由また根拠はいったい何なのでしょうか。
それには次のようなことがあげられます。

1、安息日はユダヤ人の戒めにすぎないという主張
安息日というのは、神がユダヤ民族にお与えになったものである。これはユダヤ人の律法であって、こんにちのわれわれクリスチャンに与えられているものではないというものです。しかし、それは事実でしょうか。
イエスは「安息日は人のために与えられたものである」と仰せになっています。そこには、ユダヤ人のためといったような、対象を限定する言い方はしていません。
それよりなにより、ユダヤ民族というのは、いまから四千年前アブラハムという人から出て来た民族なのです。
しかし、安息日は天地創造のときに制定された戒めなのです。これはユダヤ民族の発生する、はるか以前に与えられたものである以上、この安息日の戒めは全人類を対象に与えられたものであるのは明白ではないでしょうか。
これをユダヤ人のためと限定する理由また根拠は、聖書のどこにも存在しないのです。

2、安息日の戒めは道徳律とは認められないという主張
神がモーセをとおしてお与えになった十戒は道徳律法であって、これは永遠不変のものであることをみとめる。
しかしながら、その中の第四条安息日の戒めは、これは道徳律法とは見なしがたいということで、この戒めだけを除外しようとするのです。実は内村鑑三氏もそうした人々のことを取り上げて、次のように指摘しています。

「我らは、人は何故に偶像に神として仕えてはならぬかを知る。我らはまた人は何故にその父母を敬わねばならぬか、何故に人を殺してはならぬか、何故に姦淫してはならぬか、何故に盗んではならぬか、能くその理由を知る。然れども何故に安息日を守らなければならぬか、そのことは能く解らない。それ故に今の基督信者にして、信仰の篤い者、行為の正しい者は少なくないが、然し安息日を聖く守る者は、はなはだ稀である」

しかしながら、十戒は道徳律法であると認めながら、その中の第四条は道徳律法とは見なしえないということで、こんにちのわれわれクリスチャンには関係のないものであるという主張は、はたして正しいことでしょうか。
使徒ヤコブはこういっています。

「律法をことごとく守ったとしても、そのひとつの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになる」(ヤコブの手紙2:10)

すなわち、十戒は鎖のようなものであって、輪の一つが切れるならば、鎖全体が役に立たなくなる、それと同じことなのです。それはなぜなのか。十戒の根本思想は、神への愛(一〜四条)と人への愛(五条から十条)なのです。ですから、その中の一つを破ることは、とりもなおさず愛の蹂躙にほかなりません。とすれば、たといその人がほかの戒めを守ったとしても、それは形の上だけのことであって、心では必ずしも守っているとはいえないということになるわけです。ゆえに内村鑑三氏もこういうのです。

「彼らは思う。安息日の聖守は、これイスラエルの民の為に特別に設けられし制度であって、人類全体に及ぼさるべきものではない。十戒のうちこの一か条だけは、一般に適用さるべきものでなく、従って旧約の廃棄と同時にその効力を失ったものであると、かく唱えて彼らは安息日を見ること他の日の如く、この日にこの世の業務に従事し、この日を遊戯のために費やして心に何の悔恨をも感じないのである。
しかしながら、十戒はかくの如くにして、その完全を毀たるべきものでない。十戒は人の守るべき最も重要なる義務の十か条を示したものであって、その一を破るはその全部を破るに等しくある。しかして安息日の聖守がその中に算えられしは、その中に深き意味の在ることであって、そのことを深く究めずして、この箇条を等閑にするは信仰上または道徳上はなはだ危険なることであると思う」

神の律法十戒が不変のものであるなら、安息日の戒めも「殺すな」「盗むな」などのほかの戒め同様に、やはり守るべき戒めであることにかわりはないはずです。

3、イエスは安息日の戒めを無視されたとの主張
イエスは、安息日の戒めに少しも拘束されず、自由にふるまわれたというのです。その根拠として、次のことがよく引き合いに出されます。

ある安息日に、イエス一行が麦畑を通っておられたが、弟子たちはお腹が空いていたので、麦の穂を摘んで食べ始めた。これを見たパリサイ人たちが、「どうして安息日にしてはならないことをするのか」と言ってとがめた。これに対してイエスは、「人の子は安息日の主である」とおっしゃって、弟子たちを弁護しておられるではないか、というのです。(マタイによる福音書12:1-8)

すなわち、イエスは安息日の戒めに対して自由に振る舞っておられるではないかというわけです。これはどういうことなのでしょう。
イエスの時代、ユダヤ教は安息日を守るために、たくさんの規則を作っていました。その中に、安息日には麦畑を通ってはならないという規則もふくまれていたのです。しかしこれは、神の律法ではなく、ユダヤ教の指導者が勝手に作った人の規則にすぎませんでした。しかも民衆は、これにがんじがらめに縛られて、安息どころではない、むしろそうした規則の重荷に押しつぶされそうな状態にあったのです。
イエスはこのような手かせ足かせから、民衆を解放することを強く望んでおられましたので、そうした立場から、弟子たちの行動を弁護しておられるのです。すなわち、弟子たちはユダヤ教の規則に違反したというのであって、それは必ずしも、神の律法を破ったということではなかったのです。
またイエスは、安息日に多くの病人を癒しておられます。手の萎えた人、(マタイによる福音書12:10-13)、38年寝たきりの病人(ヨハネによる福音書5:1-16)、生まれながらの盲人(ヨハネによる福音書9:1-14)、その他にも癒しのわざを安息日におこなっておられます。これをもパリサイ人たちは、「安息日を守っていない」といって非難しているのです。しかし安息日に病を癒すことは、必ずしも神の律法に違反することではありませんでした。
ですからイエスは「安息日に良いことをするのは、正しいことである」(マタイによる福音書12:12)とおっしゃって、パリサイ人らの心得違いをさとされたのでした。

4、安息日についてのイエスの爆弾発言
イエスは安息日について次のように言っておられます。

「また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」(マルコによる福音書2:27、28)

このイエスのお言葉は、ちょっと見ると、「人間は安息日の戒めなどに拘束される必要はない。自由であるべきだ」といっておられるように見えます。その意味で何か革命的な爆弾発言のような感じがしないでもありません。
それだけにこれは、イエスが安息日の戒めを否定されたと主張する人々が、その根拠としてよく引用する聖句となっています。
これらの言葉は確かに、イエスがなにかを想定し、それを否定するための発言のように思われます。
では、イエスは何を否定しようとしておられたのでしょうか。
当時のユダヤの民衆には、安息日に関して、二つの側面があり、二重の定めが課せられていたといえます。
一つは、神の律法
もう一つは、人の規則
いったいイエスは、どちらを念頭において、この否定的発言をしておられるのかが問題です。
実はこんにち多くの教会は、「イエスはこれによって、『人間は安息日に縛られるべきではない。むしろ自由であるべきだ』といっておられる。だから、新約時代のわれわれクリスチャンは、もはや安息日の戒めに拘束されるべきではない」と主張していますが、この主張の主旨は、安息日を守る守らないは人間の自由だ、という意味のようですが、はたしてそうなのでしょうか。
これは、イエスが「神の律法」そのものを否定されたという受け止め方のように思われます。しかし、このイエスのご発言の真意は、神の律法を遵守するための妨げとなっている「人の規則」の否定という点にあるのであって、それは先に取り上げたイエスと弟子たちの行動によって明らかだと思います。すなわち、弟子たちが安息日に麦畑を通り、麦の穂を摘んで食べたということ、さらにイエスが安息日に病人を癒してあげられたということ、これらはなにも神の律法に違反するものでは決してなかったにもかかわらず、パリサイ人たちはこれをとがめていますが、それはもっぱら昔からの言い伝えや、人の作った規則に違反するという理由によるものでした。
このことからみても、イエスの爆弾発言は、否定の対象が「神の律法」というより「人の規則」にあった公算が大きいといわざるをえません。
実はイエスのお言葉には、否定と肯定の二面があることにも注意する必要があります。否定の面については先ほど述べた通りですが、肯定的面というのは次のようなことです。
イエスのお言葉のポイントは、次の三つです。

一、安息日は人のためにある
二、人が安息日のためにあるのではない
三、イエスは安息日の主である

これをわれわれはどのように理解すべきなのでしょうか。
一の「安息日は人のためにある」という、これはあきらかに肯定的なお言葉です。その意味については、すでに(その1)で説明していますので、ここではあらためて申し上げるまでもないと思います。
三の意味は、イエスは安息日の対象また中心となるべきお方である、という意味もあるように思われますが、それとともに、これはイエスが安息日の制定者であること、従って、安息日の真意や正しい守り方については、「わたしが何もかも一番良く知っている」という、イエスご自身の主張でもあるわけです。
二については、一見、イエスが「安息日を守る、守らないは自由だ」といわれたようにもとられがちですが、はたしてそうでしょうか。確かに、この言葉は否定的な感じを強く受けますが、イエスはいったい何を否定し、何から民衆を解放しようとされたのでしょうか。いいかえますと、解放は神の律法からか、それとも人の規則からか、どちらであろうかということです。
イエスは世界の創造者であり、神の律法の制定者です。そのイエスが神の律法を否定したり、神の律法から民衆を解放しようとしたりなさるはずはありません。そんなことをしようとするのはサタンだけです。

イエスの爆弾発言の歴史的背景

いったいイエスはどういう意味で、あのことをおっしゃっておられるのでしょうか。それを明らかにするためには、当時の歴史的・社会的背景をよく知らなければなりません。そしてそれには、時代をユダヤのバビロン捕囚のころまで遡る必要があります。
ユダの民がバビロンの捕囚となったのは紀元前605年のことですが、実は、そのことは預言者エレミヤによって預言されていたことでした。エレミヤは神の言葉を伝えてこういっています。

「あなた方が安息日を聖く守るならば、エルサレムには繁栄が臨む。しかしこれを守らないなら、エルサレムは火で焼かれて滅びる」というのです。(エレミヤ書17:19-27)

しかし、ユダの民はこれに耳をかさず、警告に聞き従わなかったため、エルサレムの滅亡とバビロンへの捕囚は、避けられない定めとなりました。ただし神は、彼らの捕囚期間が70年であることをお告げになりました。(エレミヤ書25:8-13)
しかも神は、「捕囚期間の70年が満ちたなら、わたしはあなたがたをエルサレムに導き帰る」と約束されたのです。この約束の通り、神は紀元前536年にペルシャ王クロスにお告げを与え、ユダヤ人を解放するようお命じになったのでした。解放命令は何回か出されていますが、実行に移されたのは紀元前457年のことでした。
こうして、故国に帰ることを許されたユダの民は、指導者ネヘミヤと学者エズラの指導勧告のもと、神の前に罪を懺悔し、心からの悔い改めを誓ったのでした。
彼らはまず、神の選民であるわれわれユダヤ民族が、神を恐れない異教の国に滅ぼされたのは何故なのかを深く考え、みずからを省みました。そしてそれは、神が預言者エレミヤによって警告しておられた安息日の戒めを破り、これを聖く守るようにとの勧告を無視して、それに聞き従わなかったためであるということを、はっきりとさとったのでした。その結果、彼らはまず安息日の守り方について、徹底的な改革を断行しようとしたのです。(ネヘミヤ記10:28-31)
しかし、その後も民の中には、商売のため安息日を破る者があとを断たなかったところから、指導者方は彼らを厳しく譴責し、取り締まりを強化したのでした。(ネヘミヤ記13:15-22)
ところで、そこまではよかったのですが、時代の推移とともに、それが極端に走るようになり、しだいに行き過ぎるようにもなっていったのでした。
すなわち、民の指導者たちは、改革に熱心のあまり、安息日の守り方について様々な規則をつくるようになったのです。そして、イエスがこの世においでになったころには、安息日の守り方についての規則は総則が三九か条もあり、その一つ一つに、さらに細則が設けられて、一千を超える規則にふくれあがっていました。
民たちはそうした規則にしたがって安息日を守らなければならなかったため、安息日は彼らにとって安息どころではなく、大変な重荷となっていたのでした。これは神が人間に安息日の戒めをお与えになった目的とはまったくちがう形となってしまっていたわけです。
そこでイエスは、神の律法安息日を本当の意味で、安息の日とすることができるよう、人間の規則の重圧から民衆を解放しようとされたのでした。イエスのあの爆弾発言は、まさにそのためであったのです。このことは、イエスの次の言葉によっても、明らかだと思います。
学者・パリサイ人たちは、イエスの弟子たちが、昔からの言い伝えや人間の規則に従っていないのをみて、これをとがめていますが、これに対してイエスは次のように答えておられます。

「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、それは適切な預言である。『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間のいましめを教えとして教え、無意味にわたしを拝んでいる』。あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言い伝えを固執している」(マルコによる福音書7:6-8)

「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神のいましめを捨てたものだ」(マルコによる福音書7:9)

「こうしてあなたがたは、自分たちが受けついだ言い伝えによって、神の言を無にしている。また、このようなことをしばしばおこなっている」(マルコによる福音書7:13)

以上によって、マルコによる福音書2:27、28でイエスが言われた言葉、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」という言葉は、どういう意味かがはっきりしたと思います。
すなわちこの言葉は「神の律法・安息日から人間を解放する」ことを意味する言葉ではなく、むしろ「安息日に関する人間の言い伝えやさまざまの規則から民衆を解放する」ことが目的の言葉であったということなのです。

安息日の戒めはいまも不変であり有効である

以上によって明かなように、安息日の戒めはある人々が言うように、キリストによって廃されたというのは、聖書の正しい理解に基づく主張とはいえないわけです。
安息日は、十戒の中の一か条である以上、十戒が不変なら安息日も不変であるのはあまりにも当然といわねばなりません。そのことをイエスは、身をもってお示しになり、弟子たちもそれにならって、この日を遵守していたことが聖書によってはっきりわかります。

1、イエスと安息日遵守
神なるイエスご自身、安息日をきちんとお守りになっていました。そのことは次の聖句によっても明らかです。

「それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた」(ルカによる福音書4:16)

これは、イエスが安息日には、会堂に出席され、礼拝を司式されたことを示すものであり、しかもそれはイエスにとって、生活の慣習となっていたことをうかがわせるものでもあるわけです。

2、弟子たちと安息日遵守
また弟子たちは、イエスが亡くなってのちも、この日を聖く守っていたことが、次の聖句によって明らかです。

「この日は準備の日であって、安息日が始まりかけていた。イエスと一緒にガリラヤからきた女たちは、あとについてきて、その墓を見、またイエスのからだが納められる様子を見とどけた。そして帰って、香料と香油とを用意した。それからおきてに従って安息日を休んだ」(ルカによる福音書23:54-56)

イエスが十字架にかけられて死なれたのは備え日(金曜日)でした。イエスを墓に葬ったのは夕刻でした。弟子たちはイエスの遺体を墓に納め、「それからおきてに従って安息日を休んだ」(ルカによる福音書23:54、55)と聖書は記しています。
弟子たちが安息日を休んだのは、ただ疲れをいやすための休息でもなければ、ユダヤ国民として社会の慣習に従い、周りの人々に倣ってのそれというのでもありませんでした。彼らは安息日を、神が定められた聖なる掟として、これを守っていたのです。

3、安息日についてのイエスの預言
しかもイエスは、この安息日の戒めが不変のものであり、ずっと後世にも神の民の守るべき戒めであることを示す証拠として、次のような預言をしておられるのです。
イエスは三年半の伝道生涯がいよいよ終わりに近づいたことをおさとりになり、イエスの十字架の犠牲を象徴するお祭り、過越節を祝うため、エルサレムの都に入ろうとして橄欖山の頂きまでやってこられました。そこから眼下にひらける都に目を注ぎながら、イエスは肩をふるわせてお泣きになりました。それはエルサレムの滅亡を予見されたためでした。
イエスはこのエルサレムの滅亡を弟子たちに告げるに当たって、次のように仰せになりました。

「預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば、(読者よ、悟れ)そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ・・・あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ」(マタイによる福音書24:20)

このイエスの預言は、この時から40年後の紀元70年に成就しています。すなわち、ユダヤ人が不落を誇っていた神の都エルサレムは、ローマ軍の包囲攻撃を受けて陥落し、滅亡しています。このときユダヤ人の死者は百万人にも及んだといわれていますが、クリスチャンはひとりも死んだ者がなかったと歴史家は伝えています。それは、神の民が「エルサレムに異国の軍隊が攻めてくるのを見たら、直ちに山に逃げるように」というイエスの預言的警告の言葉を心に留めており、それに忠実に従って行動したためでした。しかもイエスは、このエルサレムの滅亡による神の民の逃亡が、安息日にならないように祈れと、仰せになっているのです。
このことは、このときから40年後にもなお、安息日の戒めは廃されるものではないこと、それどころか依然として、神の民によって守られなければならない戒めであることを、はっきりと示していることになるのです。このイエスの預言は、新約時代になっても安息日の戒めは不変であることの何よりの証拠となるものです。

4、安息日に関する新約聖書の証言
新約の教会が、安息日の戒めは廃されたと主張するもう一つの根拠は、次の聖句です。

「だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭りや新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある」(コロサイ書2:16、17)

旧約時代には、七日目ごとの安息日に加えて「このほかの安息日」(レビ記23:38)といわれるものがあり、レビ記にはそれが七つあげられています。これらは、キリストを指し示す予型としての儀式的定めであって、キリストの十字架によって廃止されています。しかしこれは、道徳律法・十戒の第四条とは別のものです。ゆえにこのことを述べている同じパウロがヘブル人への手紙では、次のように言っています。

「こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。・・・したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない」(ヘブル人への手紙4:9、11)

安息日は、天地創造の記念日であると同時に、新天新地における永遠の安息の予型でもあるのです。この永遠の真の安息に入るその日まで、この七日目ごとに巡ってくる安息日をおぼえて、これを聖く守るようにとパウロは勧めているのです。そうしないと、かつてのユダヤ人のように、われわれもうっかりすると、神を忘れ、信仰から脱落し、天国に入れなくなる者が出るかもしれないからというのです。
その意味で、永遠の安息の型としての週毎の安息日を聖く守り続けることはとても大切なことなのです。

要点の確認

  1. 神の十戒はこれを認めながらも、第四条の安息日の戒めだけは廃されたと言う考え方が根強くある。その理由の一つは、これはユダヤ人の戒めであるというものである。だが、ユダヤ民族の発生は今から四千年前である。安息日の戒めは天地創造のときに制定された。その対象はユダヤ人ではなく、人類全体が対象であったのである。
  2. 安息日の戒めは、それが道徳律ではないという理由でこれを否定する人がいる。だが、この戒めは十戒の中の一か条である。十戒は鎖の輪のようなもので、輪の一つが切れたら鎖全体が役立たなくなる。そのように安息日を否定するならば、それはとりもなおさず、十戒全部の否定になってしまうであろう。
  3. イエスは安息日にも自由にふるまわれた。例えば、安息日にイエス一行が麦畑を通り、弟子たちが麦の穂を摘んで食べた。またイエスは安息日に多くの人の病をおいやしになった。しかしこれは、安息日の守り方についてユダヤ人が設けた人の戒めに対する違反ではあっても、それは神の律法に違反するものではなく、むしろ安息日にも許されることであり、そればかりか安息日にふさわしいことでさえあった。
  4. イエスは「安息日は人のためにある」といわれた。これをもってある人々は、新約の教会はイエスによって、安息日の戒めから解放されたと主張する。だが、イエスの宣言は、何からの解放かが問題である。神はユダヤ国民に対し、安息日について、警告を与えておられた。安息日を清く守るなら、エルサレムに繁栄が臨む。だが、安息日を破るならば、エルサレムは火で焼き滅ぼされる、と。しかし、彼らはこの警告を無視して安息日を守らなかったために、バビロンによって滅ぼされ、異教の国の捕囚となった。70年後彼らは故国への帰還を許されたが、そこで彼らは深く罪を悔い、宗教改革を断行した。すなわち安息日を守ることを堅く誓ったのである。しかし、それがしだいに行き過ぎ、安息日を厳格に守るための規則を作り、それがしだいに増えていき、民衆はその規則によってがんじがらめになってしまっていた。イエスは、こうした人為的な世俗の戒めから民衆を解放しようとして宣言されたのが、マルコによる福音書2:27、28の爆弾発言であった。イエスが解放しようとされたのは、神の律法からではなく、人の言い伝えや、人の規則からの解放であったのである。その証拠に、イエスはこういっておられる。「あなた方は、神のいましめをさしおいて、人間の言い伝えを固執している」「あなた方は、自分たちが受けついだ言い伝えによって、神の言を無にしている」これによれば、人為的な戒めに固執し、人々をそれに拘束しようとするため者たちこそ、実は神の言を無にし、神の戒めに違反する人々ということになろう。
  5. 安息日の戒めは、新約時代のこんにちも不変であり、有効である。故にイエスご自身安息日ごとに、会堂にお入りになり、礼拝を守られたとあり、弟子たちも「おきてに従って安息日を休んだ」と聖書に記されている。またイエスは、この時から40年後に起こるエルサレムの滅亡を預言されたが、そのとき神の民はエルサレムから山に逃げるようにいわれ、その逃げるのが安息日にならないように祈れといわれた。これは安息日の戒めは、この時から40年後にもなお廃されることなく、依然として守られるべき戒めであることを示すものである。

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