第27課 クリスチャンの義務
1. 真のクリスチャンとはだれですか
「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。」ヨハネ1 : 12, 13
2. クリスチャンにはつとめや義務がありますか
「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたは、そのために召され、多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのである。」テモテ第一6 : 12(注1)
3. 私たちが戦わなければならない敵はだれですか
「そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。」ヤコブ4 : 7
4. この戦いで私たちはどんな武器を使いますか
「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、平和の福音の備えを足にはき、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。」エペソ6 : 13-17
「わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、」コリント第二10 : 4, 5
5. 悪魔が常に私たちにさせようとしている事は何ですか
神にそむくことです。
不服従な精神は、サタンから来るものです。
「かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。」エペソ2 : 2
不服従は最初の罪でした。
「すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。」ローマ5 : 19
6. 神はその子らが神に従う事を期待しておられますか
「もし、あなたがたが快く従うなら、地の良き物を食べることができる。」イザヤ1 : 19
「そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となり、」ヘブル5 : 9
不服従は死です。
「しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう。」創世記2 : 17
服従は選ばれた者のしるしです。
「それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である。」出エジプト19 : 5, 6
服従は祝福をもたらし、不服従は呪いをもたらします。
「もし、あなたがたが快く従うなら、地の良き物を食べることができる。」イザヤ1 : 19
「そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となり、」ヘブル5 : 9
不服従は死です。
「しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう。」創世記2 : 17
服従は選ばれた者のしるしです。
「それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である。」出エジプト19 : 5, 6
服従は祝福をもたらし、不服従は呪いをもたらします。
「見よ、わたしは、きょう、あなたがたの前に祝福と、のろいとを置く。もし、きょう、わたしがあなたがたに命じるあなたがたの神、主の命令に聞き従うならば、祝福を受けるであろう。もしあなたがたの神、主の命令に聞き従わず、わたしが、きょう、あなたがたに命じる道を離れ、あなたがたの知らなかった他の神々に従うならば、のろいを受けるであろう。」申命記11 : 26-28
生と死、服従と不服従。
「わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに対する証人とする。わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。すなわちあなたの神、主を愛して、その声を聞き、主につき従わなければならない。そうすればあなたは命を得、かつ長く命を保つことができ、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地に住むことができるであろう。」申命記30 : 19, 20
服従は最高の礼拝です。
「サムエルは言った、『主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。』」サムエル第一15 : 22
私たちの道を変えて従わなければなりません。
「それで、あなたがたは今、あなたがたの道と行いを改め、あなたがたの神、主の声に聞き従いなさい。そうするならば主はあなたがたに災を下そうとしたことを思いなおされる。」エレミヤ26 : 13
服従は全人類のすべての義務です。
「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。」伝道の書12 : 13
「『わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう』。イエスは彼に答えて言われた、『もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。』」ヨハネ14 : 21, 23, 24
服従は福音で要求されていることです。
「これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、神に従うべきである。」使徒行伝5 : 29
従う者に聖霊が与えられます。
「わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である。」使徒行伝5 : 32
異邦人は、言葉と行いにおいて従うことによって、クリスチャンとなります。
「わたしは、異邦人を従順にするために、キリストがわたしを用いて、言葉とわざ、」ローマ15 : 18
服従によって罪から解放されます。
「しかし、神は感謝すべきかな。あなたがたは罪の僕であったが、伝えられた教の基準に心から服従して、罪から解放され、義の僕となった。」ローマ6 : 17, 18
祝福。
「いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、神の戒めを行う者たちは、さいわいである。」黙示録22 : 14(欽定訳)
「見よ、わたしは、きょう、あなたがたの前に祝福と、のろいとを置く。もし、きょう、わたしがあなたがたに命じるあなたがたの神、主の命令に聞き従うならば、祝福を受けるであろう。もしあなたがたの神、主の命令に聞き従わず、わたしが、きょう、あなたがたに命じる道を離れ、あなたがたの知らなかった他の神々に従うならば、のろいを受けるであろう。」申命記11 : 26-28
生と死、服従と不服従。
「わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに対する証人とする。わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。すなわちあなたの神、主を愛して、その声を聞き、主につき従わなければならない。そうすればあなたは命を得、かつ長く命を保つことができ、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地に住むことができるであろう。」申命記30 : 19, 20
服従は最高の礼拝です。
「サムエルは言った、『主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。』」サムエル第一15 : 22
私たちの道を変えて従わなければなりません。
「それで、あなたがたは今、あなたがたの道と行いを改め、あなたがたの神、主の声に聞き従いなさい。そうするならば主はあなたがたに災を下そうとしたことを思いなおされる。」エレミヤ26 : 13
服従は全人類のすべての義務です。
「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。」伝道の書12 : 13
「『わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう』。イエスは彼に答えて言われた、『もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。』」ヨハネ14 : 21, 23, 24
服従は福音で要求されていることです。
「これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、神に従うべきである。」使徒行伝5 : 29
従う者に聖霊が与えられます。
「わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である。」使徒行伝5 : 32
異邦人は、言葉と行いにおいて従うことによって、クリスチャンとなります。
「わたしは、異邦人を従順にするために、キリストがわたしを用いて、言葉とわざ、」ローマ15 : 18
服従によって罪から解放されます。
「しかし、神は感謝すべきかな。あなたがたは罪の僕であったが、伝えられた教の基準に心から服従して、罪から解放され、義の僕となった。」ローマ6 : 17, 18
祝福。
「いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、神の戒めを行う者たちは、さいわいである。」黙示録22 : 14(欽定訳)
7. 私たちは神に対する態度をどのように表しますか
「あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。」ローマ6 : 16
8. 何によって私たちは従うことができますか
「わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」ピリピ2 : 12, 13(注2)
注釈
【注1】
義人とする信仰とは働く信仰です。言葉だけで実行の伴わない人は信仰の人とは言えません。神に喜ばれる服従とは、神のみ言葉をそのまま受け入れ、神は約束なさったことは必ずなしとげる方であることを全く信じて、そのみ力の働きにまかせる信仰の実であります(ローマ4 : 21, 22参照)。
【注2】
キリストを信ずることによって得られる神の義は、義と切り離す事のできない神の生命を与えます。キリストを信じる賜物として与えられる神の生命は、義の生活、すなわち、キリストの義、正しい行為です。
終わりの時代に「おりにかなう糧」となる一つの使命が伝えられます。これは、主が間もなく来られる事と、主に会うためにしなければならない備えに関する忠告であります。このような使命は今までに説教されなかったからと言って、今、それを宣べ伝える時ではないという理由にはなりません。オランダからいよいよ清教徒たちがアメリカに向かって出て行こうとする時、ジョン・ロビンソンは次のように言いました。
「兄弟たちよ、われわれは今、まもなく別れようとしている。わたしが再び、あなたがたの顔を見ることができるかどうかは、ただ神だけが知っておられる。しかし、主がそうお定めになっていようといまいと、わたしは、神と聖天使たちの前で、わたしがキリストに従ったように、あなたがたがわたしに近く従うように命じる。もし神が、ご自分の他の器を用いて、何かをあなたがたに示されるならば、わたしが教える真理を受けたように、喜んで信じてほしい。わたしは、主がみ言葉のなかから、これからももっと真理と光を輝かせてくださると確信している。」「わたしとしては、宗教的に行き詰まった改革教会の状態を、嘆かないではおられない。教会は現在、改革運動を起こした器たちから一歩も進んではいない。ルーテル教会員は、ルターが認識したこと以上に出ていない。…そして、カルバン派の人々は、神の偉大な人物ではあったがすべてを認識していたとは言えない人の残したことを、堅く守っている。これは、非常に悲しむべきことである。彼らは、その時代においては、燃え輝く光ではあったが、神の教えをすべて知りつくしたのではなかった。彼らは、もし今日生きていたならば、彼らが初めに受けた光と同様に、それ以上の光も喜んで受けることであろう。」
「すでに示され、またこれからも示されるすべての主の道を歩くことに同意した、教会の契約を覚えていてほしい。神のみ言葉から示される光と真理は、なんでも受け入れるという神とお互いとの約束と契約とを、覚えていてほしい。さらに、真理として受け入れる場合に注意してほしいことは、それを受け入れる前に、他の聖書の真理と比較してよく検討することである。なぜならば、非キリスト教的暗黒から最近出てきたばかりのキリスト教会に、一時に完全無欠の知識が輝き出ることはあり得ないからである」大争闘上 374, 375ページ。