失われた者から主のしもべへ
2017年2月18日 Tag: 新城 理也
Tag: クリスチャン生活
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*霊感の言葉*
イザヤ44:22
「わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから。」
イザヤ55:7
「悪しき者はその道を捨て、正らぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。」
詩篇103:13
「父がその子供をあわれむように、主はおのれを恐れる者をあわれまれる。」
イザヤ49:15
「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。」
キリストの実物教訓181
「これは、また、なんとよく罪人の状態を描写していることであろう。神に愛され、祝福にとりかこまれていながら、放縦と罪深い快楽に心を奪われた罪人は、なんとかして神から離れ去ることを願う。感謝の心を失った息子のように、当然受けるべき権利として、神の祝福を受けることを主張する。そして、神の恵みを当然のことのように受けて、感謝もしなければ、愛の奉仕もしない。・・」
キリストの実物教訓185
「読者よ。あなたは、自分勝手の道を選んで来たであろうか。神からさ迷い出ていったことであろうか。あなたは、罪の実を食べようとすると、それがあなたのくちびるの上で灰にかわってしまうことに気づかれたであろうか。今や、財産は使い果たし、挫折(ざせつ)し、希望も消え、ただひとり、心寂しく座しているであろうか。これまで長くあなたの心に語りかけていたけれども、あなたが一向に耳をかそうとしなかった、まぎれもないあのみ声が、今明瞭に聞こえてくる。・・・立って、あなたの天の父の家に帰りなさい。『わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから』といって、あなたを招いておられるのである。自分がもっと善良になり、神の前に出るにふさわしい者となるまでは、キリストに近づくべきではないという敵のささやきに耳を傾けてはならない。それまで待っているとすれば、いつまでも主の所に来ることはできない。」
神への服従のしるし―キリストと完全に結合するために、我々は彼のくびきを負うべきである。「私のくびきを負いなさい」と彼は言われる。「私の要求に従いなさい」と。けれどもこれらの要求は、人間の意志と目的に相反するかもしれない。それなら何がなされるべきか。神が言うことに耳を傾けるがよい、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」。くびきと十字架は、神に意志を明け渡すという同じ事を表すしるしである。くびきを着けることは、有限な人間を、神の最愛の御子と親しく結び付けてくれる。十字架を負うことは、自我を魂から断ち、キリストの重荷を負う方法が学べる所に人を置いてくれる。キリストのくびきを着けず、十字架を持ち上げて彼についていくことをしないで、キリストの後に従うことはできない。もし我々の意志が神の要求に調和していないなら、我々は自分の好みを捨て、最愛の願望を断念して、キリストの足跡を踏み歩くべきである。…人々は自分の首のために軽くて、身につけ易いようなくびきをはめるが、それらは極めて悩ましいものであることが分かる。キリストはこれをご覧になり、そして言われる。「わたしのくびきを負いなさい。自分にぴったりであると思って、あなたが自らの首に掛けるくびきは、全く合わないであろう。あなたにとって学ぶべき重要な教訓をわたしから学びなさい。わたしは柔和でこころへりくだったものであるから、あなたは魂に休みを見出すであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの重荷は軽いからである」。主はご自分の遺産に関して、決して偽りの見積もりをなさらない。彼はご自分の同労者を測られる。彼らが主のくびきに委ね、彼ら自身と神の御目的の利益にならなかった苦闘を断念するとき、平安と休みを見出すであろう。自分自身の弱さ、自分自身の欠陥に気付くとき、彼らは神の御旨を行うことを喜ぶようになる。彼らはキリストのくびきに委ねるであろう。その時神は、彼らのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせることがおできになる。それはしばしば、人間の心の計画とは正反対のものである。天の油が我々に注がれるとき、魂にいつでも休みをもたらしてくれる、柔和とへりくだりの教訓を学ぶことだろう(RH 1900年 10月23日)。(スタディーバイブル新約58)
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